劇作家、演出家の山口茜さんに、『風景によせて2022 たびするつゆのふね』の評論を寄稿いただきました。

下記、寄稿文です。


気配―たびするつゆのふねを介してー

山口茜(劇作家、演出家)

(撮影:脇田友)

掛川駅前から出るバスに乗った。バスは珍しく満席だ。と言っても、この街をよく知っているわけではない。人口の少ない街の、こう言った小型のバスは、乗り手が少なくて運営が厳しいと言う話を聞いたことがあった。だからきっと珍しいのだろうと思った。しばらくして、車内に聞こえてくる会話の端々から、乗客は私たちが目指していた原泉アートプロジェクトに参加しようとする人が多数のようだとわかった。

バスは、曇り空の広がる人気のない街を抜け、山道に入る。比較的緩やかな山を上り、長いトンネルを抜けると、山に囲まれた広大な集落が見えてくる。他の大勢の皆さんとは別のバス停で降りた私たちは、会場よりも少し行き過ぎてしまったことに気がつく。しかししばらく歩くと、どこまでも見渡せる、稲刈りの終わった田んぼの奥に、その会場がちいさく見えた。田んぼと田んぼの間の畦道の上に、整然と椅子が並んでいたのだった。

「あれかな」と言う声を合図に、子供たちは走り出す。いつも生活している場所とは違う空気に、敏感に反応している。そこら辺に落ちている木切れを拾っては、投げながら歩く。街では滅多にお目にかかれない、歪な、大きな木切れ。それらはわずか半日だけ大切にされる宝物となって、子供たちのカバンにしまわれる。

会場にはすぐついた。並べられた椅子に座ると、目の前に、枯れ草色の、すっかり冬の準備を済ませた田園風景が広がる。風がきつく、駅前よりも気温が低い気がして、私はダウンジャケットのチャックを上まで上げて縮こまった 。一緒にきた子供たちはすぐに畦道を駆け出していき・・・それを追いかけた夫もろともすぐに見えなくなる。私はどこまでも広がる灰色の空と、地平線で交わる田んぼを見つめながら、13年前、この風景に強く惹かれたことをうっすらと思い出す。

当時の私は自然を求めていた。京都の山間部に家を借り、畑の真似事のようなことをしたり、演劇の上演をしたりもしたが、如何せん車の免許のなかった私が、そこにいられるのは短い時間だった。しかもその頃は色々と人間関係の変遷があり、それまで一緒に芝居をしていた仲間が次々にいなくなった。私は早々に自然から街へ逃げ戻った。

あの頃の風景が、そこにあった。もちろん、実際の場所は別だ。全然違う、けれどもそこに流れる風や、漂ってくる牛糞の匂いや、山や川や、まばらに通り過ぎる車や、農耕に従事する人々の姿は、私があの頃を思い出すのに十分だった。私はこの風景の何に惹かれたのか。そこで何をしようとして、できなかったのか。

ソノノチの「たびするつゆのふね」が始まる。清川敦子さんの衣装を纏った俳優が、畦道を歩き始める。歩いていないのではないかと思うほどにゆっくりと歩く。よく見ると遠くの方にも同じように歩く人がいる。ひとり、またひとりと視界に人が増えていく。まるでそれは、沈み行く夕日のようだ。1日から見ればその、ほんのわずかの時間が、しかし俳優の身体によってゆっくりと刻まれていく。私は普段ならこんなふうに見つめないはずの景色を、じっと見つめている自分に気がつく。

この時期の、刈り取られた稲の色、枯れた草に覆われた畦道の色、山に生えている木々の色、ポツンと見える黄色い葉をした木(あれはカエデだろうか)。その自然にある色合いがそのまま、衣装になっている。おそらくこの季節、この風景のために作られたのだろう。風景に同化したり、弾かれたりしながら風に揺れているテキスタイル。

それまでぽつりぽつりと上着を濡らしていた雨が、少し強めになる。その水滴に気を取られているうちに、最初に捉えたはずの人の姿が、視界から消えはじめる。ひとり、またひとりといなくなる。そういえば私の家族は、どこに行ってしまったのだろうか。

誰もいなくなって、雨もまた、止む。風も心持ち、緩やかになり、全てが終わってシン・・・となる。しばらくすると明らかにこの土地の人と思われる人物が、田んぼの真ん中に出てきて火を付ける。煙がまい上がり、焦げ臭い匂いが漂ってくる。野焼きだ。

私はふいに思い出す。あの頃の生活を。人気のない、あの場所を。トラックの轍や風にたなびくCD、金木犀の香り、山の子に盗まれた片方の革靴を。それらはわずかひととき、あの場所にあって、生き物の気配を表していた。姿はなく、気配だけがそこにあると言う、その寂しさに耐えかねて、私は都会に逃げ帰ったのだ。

私はあそこで、やっぱり人を求めていたのだ。気配ではなく、人を。生活を共にする人。その、人の温もりを。

畦道を、夫と2歳の子供が歩いてくるのが見えた。程なくして、6歳の子供が全速力で私の体に飛び込んでくる。冷え切った小さな手が頬に当てられ、私の心は温もりを取り戻す。たびするつゆのふねが、終演する。

(撮影:脇田友)

山口茜さん(劇作家/演出家/合同会社stamp代表社員)

2003年OMS戯曲賞大賞受賞。2007年若手演出家コンクール2006最優秀賞受賞。
2007年から2009年文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてフィインランド国立劇場(ヘルシンキ)に在籍。
2012年文化庁芸術祭新人賞受賞。2015年利賀演劇人コンクール優秀演出家賞一席を受賞。
2016年から2018年セゾン文化財団シニアフェロー。
2019年『悪童日記』がFemArt Festival(コソボ共和国)、瀬戸内国際芸術祭(香川県)に招聘される。


演目:ソノノチ『風景によせて2022 たびするつゆのふね』

日程:2022年11月19日-20日

場所:「旧掛川市JA原泉支所」付近一帯(静岡県掛川市孕石)