それぞれの稽古場に、それぞれの空気感があります。
もちろんこのソノノチの稽古場にも、独自の空気感が存在しています。
私はプロジェクトの途中から参加させていただいているわけですが、
はじめて中谷さんや渡邉さんとお会いしお話してから本番の今に至るまで、
「共通言語」は、非常に大きな意味を持っていると感じています。

稽古場の中では様々な用語が飛び交います。「上手」「下手」「入り時間」などなど。
その中で、「わーき、わーき」「ぐるぐるどんぱ」など、変わった効果音かな?と思うような言葉が
ソノノチの稽古場では登場します(これは一例であり、実際にはもっと沢山のソノノチワードが存在します)。
これはパフォーマンスで使用される動きの名前なのですが、言葉を使わないからこそ、
それを共有するための言葉が数多く生まれるのだろうなと感じます。
(文書記録でいかにこのワードを残すかが難しいところです)
加えて、私としては、その言葉の雰囲気・ニュアンスがパフォーマンスの持つ印象と近いものが
あるなあと感じています。

稽古場にこのファンシーな用語が飛び交い、以前から参加しているメンバーは
当たり前のようにそれを受け取っているようにみえます。
記号的な言語がよく登場することはソノノチの稽古場の特徴ではないでしょうか。

物理的な共通言語のお話をしましたが、稽古場の空気感を司るものとして、
メンバーへの理解度も関係しているのではないかと思います。
「このくらいでいこうか」がどのくらいなのか、「ちょっと休憩」のちょっととは
どのくらいか、この感覚は同じ時間を過ごしていないとなかなかわかりません。
私が稽古場へ参加するときいつも安心と安定を感じているのですが、
それは言葉の感覚の共有が素地としてあるからかなあと感じます。

昨年行われた静岡・原泉での滞在制作、これまでのメンバー同士、
また、新しいメンバーとのクリエイション。
共に過ごすことで共有・蓄積されていく感覚と言語、それがソノノチの
稽古場を形作っているのかもしれません。

アーカイブ担当:駒(企画団体〈世界平和〉)